お義父の介護から手が離れて、そろそろ二年になる。

うちのお義父さんのケースは、『あれ?何か変だな?』と感じから、意識障害を起こすレベルに達するまであっと言う間だった。

だから、家族(私と旦那)は、問題行動の対処療法に追い立てられる日々を送ることになった。

昼夜問わずの徘徊、独り言や叫び声、介助の拒否など…徘徊では後ろの林に立て篭もり、大規模な捜索隊が招集される事態にまで発展したことも。(突入は未然に防げたが)

もっと大変だったのは、ハンギングストライキと意識障害だった。

こればかりは直接お義父さんの命に係わることなので、様子を見て…なんて甘いことは言ってられない。
夜間病院に連れていったことも一度や二度ではないし。(そのたびに『どこも悪くありません』といってあっさり返されるわけだが)

介護支援も介護3から、適用サービスを拡大するために区分変更を緊急申請。
週1回だったデイサービスも、一か月毎に回数を増やし、ピークでは週5回となった。

まだ、デイは良心的に対応してくれてだいぶ助かった。
性質が違うためか、ショートステイは大変厳しく、
看護師に罵倒されたあげく利用拒否までされてしまったことも。

うちは、共稼ぎでなければ家計が成り立たない。お義父さんを養うことだって、それで賄ってきた。
だから、二十四時間見守りが必要な認知症の介護は現実的に無理。
お義父さんには、何が何でも介護サービスを利用してもらはないと、暮らしも安全も守れない状況。
認知症の問題行動は医師の診療のもとでのコントロールは必須のことだ。

そんな理由からケアマネージャーさんのアドバイスもあり、思いっ切って精神科の開業医を受診した。


専門医に診てもらえば、今までどおりにお互いに安全に安心して暮らすことができるはず。

藁をもすがる思いで、認知症専門医と言われる精神内科を受診した。

薬の調整のために2週に一回の通院を進められた。

介護と仕事の両立をするために、ケアマネさんと綿密に計画を立てたり、仕事の時間を調整したりとお義父さんの症状が落ち着くまで頑張り、この困難を乗り越えようとしていた。

ところが…事態は悪化したのだ。

薬を飲み始めてから3日もしない内に、意識混乱状態に陥った。

意味不明なことを叫び続けるようになり、目を見開いているのに呼びかけに反応しない。トイレも自分で行けなくなり、自力で立つことも歩くこともできない。(身体能力的には立てるが、体を動かす意思が働かない。) それは食事をする時でも同じで、目覚めたように反応が返るようになっ時だけ食べだすのだが15分もするとまた、無反応になる。『食欲がない』というレベルではない。一日中水すら飲めないときがある。口まで運んでも飲み込もうとしないから、含ませたとたん端から流れ出るのだ。

2週間に一回の診察だが、この状態は絶対に異常だと思い、慌ててその精神内科を受診する。
医師に症状を説明したが、薬を処方したばかりでは判断できないので、このまま様子をみるように言われた。

薬の効き目が落ちすけば安定するのか?と疑問に思いながらも帰宅。
医師にそういわれては家族も介護スタッフも従うしかない。

ケアマネさんとデイサービスのスタッフ、ヘルパーさんと緊急会議を開いて対応を検討した。

車椅子を準備して、家の中の移動を対応。家でのトイレ・着替え・食事の介助はデイ利用以外旦那と私が対応。
デイの送迎は私が役割を担うことにして、仕事時間を調節して家でも仕事ができるようにした。
こんな状態でもデイのスタッフは献身的に対応してくれて、ありがたかった。
介護認定の区分変更も認められ、ついに介護5のケアになった。



この状態での在宅介護は無理がある。旦那と二人で特養を申し込みに歩いた。
近隣の市町村の特養はすべて申し込んだ。その数は十数か所。

介護5でも、家族がいて在宅介護からの入所は難しいらしい。
さらに認知症で周辺行動がひどいと、申し込みすらできない施設もあった。

そうなのだ、まず認知症による周辺行動のコントロールしなければ何とも前に進めない。

何より心配なのが、身体の状況だ。水や食事をまともに取れない日が何日も続いている。

夜中に意味不明なことを叫び続ける姿は、いくら呆れたガンコ爺でも哀れで仕方がない。

様子を見てくださいと医師に言われたが、このままでいいわけがない。

せめて、ご飯が食べられるようにしてもらえないかと、お義姉を伴って医師に相談にいった。

そこで、医師から信じられない発言がかえってきた。

『一週間ぐらいご飯を食べなくても死なないから!』

私は耳を疑った。水もまともに飲まないんだから、脱水になるかもしれないでしょ!!死なないって何!!
怒りが込み上げてきたが、冷静にもう一度問いなおした。
このままでは、弱って死んでしまうかもしれないと思ったからだ。

『薬を飲み始めてから意識障害みたいになってます。薬が合わないことってないんでしょうか?』と食い下がった。


医師:『お爺さんが、また徘徊するようになってもいいのか!! 家で誰か見てれば解決する問題だ!』

私:『共稼ぎなのでそれはでは生活していけません。施設も申し込んでいますが、認知症の周辺行動が落ち着かないと入所も難しいといわれています。』

医師:『介護サービスを使えばいいだろう!!ケアマネに頑張ってもらったどうだ!』

私:『もうすでにフルサービスで満額利用しています。それでもこれ以上は医師の治療が必要なのではないですか?まだこのまま様子を診ろとおしゃるのですか?もう少し状況にあわせた薬の調整はできないのですか?』

医師:『ここはクリニックで入院施設はないから、うちとしては家族で診てもらうしかない。そうゆう治療が必要なら他の病院へ行け!』

相談もなにもあったもんじゃない。これでは診療拒否ではないか。
しかも、薬を処方した医師の言葉とは思えない。
なんて無責任な医者なんだろう…としばし言葉を失った。

私:『…わかりました。では入院施設のある精神内科を紹介してください。紹介状を書いていただけませんか。』

診療室が一瞬、シーンとなった。

医師が溜息まじりに、言い放った

『私はこの患者さんを見て3か月もたっていない。そんな患者の紹介状何か書けるわけがないだろう!』

これは、医者の言葉だろうか?

この医師は県内の認知症家族会の前で講演を開くほど有名な人だ。
地域でも、認知症の名医として評版がいいことでも知られている。

その医師に、まるで診療を拒否するようなことを告げられた。
紹介状すら書けないという。

私は諦めた。やめた。

この医者は、患者の変化に対応する知恵のない医者だ。
患者は生きていて病気と懸命に戦っているのに。生きているから、良くなったり悪くなったりは当たり前ではないか。薬に対する説明もないし、水も飲めなくなった患者に『食べなくても死なない』とは…患者を動けなくして家族に介護をさせそれで、自分の診療内容に疑問も持たないなんて…

こんな医師に診てもらう必要がない。

『よくわかりました。今回分の薬を処方していただければそれで結構です。』

そういいって、診察室を静々と出た。



薬はもらったものの、お義父さんの意識の混乱状態がつづいていた。

苦しいながらも在宅介護と仕事の二足の草鞋を履いて、私は次の病院を探していた。

お義父さんの内科主治医のいる病院の相談室のケースワーカーさんに相談したり、大きな精神病院の相談室何かにも連絡してみた。

主な応対は丁寧だったが『本人がどこか具合いが悪くて治療したいという意思があればいいんだけど、認知症の場合それの確認が難しい』とのこと。

認知症の周辺問題行動は、周りが不快な思いをするだけで本人は何ともないのだ。本人に治療の意思がないと対処が難しいわけだ。特に入院して治療となると余計そのようだ。

前の精神内科での医師の対応に、少なからずショックを受けていた私は、そこを押して義父をつれ病院へ向かうことが出来ないでいた。あんまり、おなじような虚しい経験はしたくない。

これからどうしたらいいのか…日々の介護の計画を立て義父の健康状態がこれ以上悪くならないように工夫しなら、この生活を安定させるためにも仕事はペースをおとせないでいた。

そんな仕事と介護疲れが体に影響したのか、朝から頭痛が続いていた日。
義父の身体介助をしている時に、鼻血が出て止まらなくなり動けなくなった。

その時たまたま意識はっきしていた義父は、血だらけの様子に驚き
『大丈夫か??大丈夫か?』と慌てた様子をみせた。
いつも面倒を見てる人が、血だらけなんて介護されてる方は、とてつもなく不安になるに違いない。

タダの鼻血だから別にどうってことはなかったのだが、ちょっとフザケテやろうと思いついた。
いつも世話やいてやってるのだから、イタヅラしたって『なーんちゃって』ですむよね〜って感じで、

『うわ〜!!おとうさん助けて〜くれ〜!!』

って這うような恰好で助けを求め倒れるマネをした。

狙い通り、大慌ての義父(悪い奴だ〜私)しばらく『大丈夫か?休め!』と言い続けていたが、
ちょっとやり過ぎ?と思ってお体を起こし
『鼻血が出て頭がいたいから二階で休むね』
と言って、ベットに移動させて介助を早々に終わらせ部屋を出た。

鼻血の止血を済ませ、部屋へ行こうとしたとき転機が訪れたのだ。


何とベットに寝かせたはずの義父が玄関の廊下に這いつくばっているではないか。

何が起こったのかと駆け寄ると、今度は義父が
『うわー!!腹いたい!!具合い悪い!!助けてくれ〜!!』
と言い出すではないか。

『具わい悪?具わい悪?って言った?』
これは…!!と思って、空かさず本人の意思確認。
『病院に行く?後藤先生に診てもらおう!』

『うん!!胸が苦しい〜助けてくれ〜!!』

キタ〜!!!!!!今しかない!!

急いで病院へ直行!!運の良いことに今日は主治医の外来診療の日!

内科の主治医は、この数か月に起こった義父の認知症の悪化と、痩せ衰えた様子に驚きを見せた。

事情やら飲んでる精神内科の薬を事細かに説明し、このままでは弱って死んでしまう、家では診れませんどうか力を貸して下さい!と力説した。

『内科も精神科も両方の治療が必要なので、内の病院と連携が取れる精神病院を紹介しますの。すぐに向かってください。』

主治医のに事の深刻さを理解してもらえたことが嬉しくて、私は泣いていた。

これが安堵の涙って言うものか。これで、きちんと治療が受けられる。義父の安全を守ってあげられる。

『精神病院には、ご主人と行く必要があります。たぶん保護入院になると思うから』

保護入院とは『治療が必要な患者に対して本人の治療意思が確認できない場合、家庭裁判所の権限で入院治療を受けさせること』だそうだ。だから、まず実子である旦那が直接入院手続きを行う必要がある。
急きょ会社を早退してもらい、紹介された精神病院をその日の内に受診することになった。

精神病院は以外と近い場所にあった。紅葉の美しい庭園の中にひっそりとある。精神病院なんて日常生活の身近に感じない怖い場所だと感じていたが、そんなことはいっていられない。義父に治療を受けさせなければ。

初めにケースワーカーさんとの面談があった。やはり保護入院になるとのこと。

お義姉さんズにも連絡し事情を説明し了解を得て必要書類をそろえた。
夕方までに家庭裁判所へ行き手続きを済ませ…と慌ただしく必要事項をこなして
精神科の先生の受診となった。

『前の先生が処方した薬…調整が上手く行かなかったようです。だいぶ脱水症状がひどいし、栄養状態も悪いです。3から4か月かけて入院してもらって、全身状態も改善させましょう。』

『時間はかかりますが、介護施設が利用できるくらいの周辺行動の安定と健康状態の回復を目指しましょう。』


それから約二年経つが、未だに治療は続いている。入院中は薬の調整が相当苦しかったみたいで騒いだり、暴れたりで心配した。薬で症状が安定してくると周辺行動は見違えるように問題を起こさなくなった。

今は在宅介護は無理ということになり、グループホームで毎日穏やかに過ごしている。

こうして、我が家は認知症在宅介護の困難を打開することができたのだ。


そのきっかけが、私のカマシタ『鼻血でた!助けてくれ〜!』の悪ふざけだったのか?と思うと、何が功を奏するのかわからないもんだ。

実際は義父は胸が苦しかったのかどうか本人もわからないだろう。
主治医の先生の診察を受けていた時はケロっとしていた。

ただ、私の悪ふざけを見抜いて、お返しのつもりでふざけて見たか、
『助けてくれ〜!!』っていうフレーにハマって『俺の方が大変なんだ』とアピールしたかったのか…
イズレちょっとした戯言だったと思う。

でもそのお陰で病院へ連れていく口実ができたのは間違いない。

今思えば、もっと早く主治医に相談していればよかったかもしれない。

でも、前に通っていた精神内科での対応や、ショートステイの看護婦の罵倒に
傷ついて感傷的になっていなかったら、もう少し早く行動おこせたと思う。

介護者と介護ケアサービスを行う側。そして医師。

同じ介護を担うパートナーであるべきなのに、責任を押し付けあうのは如何なものか。
慈愛の介護者を追い詰めないでほしいものだ。

問題提起をすれば切がないことだろう。

お互い寄り添って介護の現実を乗り越えていければいいのに。

その時に起こった、親族騒動のことはまた後ほど。

人生いろいろあるけど、頑張って、胸はって前に進みましょ。